離婚をしたとき、4匹のチワワのシングルマザーになった。
2匹ずつの散歩を朝に2回、夜に2回。ちびたちは当時まだまだ“動きざかり”だったし、私も今とは比べものにならないほど若くて健康的だったため毎日毎日よく歩いた。
それから10年が経ち、2020年に母犬を。2022年にその娘のうちの1匹を看取った。母犬はさいごは腰椎ヘルニアと頸椎ヘルニアを患い後ろ足がほとんど使いものにならなくなったから、私は介護に明け暮れた。
コロナ禍になる直前だった。
介護服をつくろうと、不器用なくせにAmazonでミシンを買った。1万6000円程度だったミシンが、3ヶ月後に10万円近くに値上がりしていてタイミングの良さに大きく胸をなでおろした。
後ろ足が立たない犬に――たとえそれが2キロにも満たないのメスのチワワだとしても――おむつを穿かせるのはちょっとした労働だった。
後ろ足が“ぽんこつ”になっていることを、母犬自身はあまりわかっていないのかなにかと動こうとする。自分の足で水を飲みにいこうとするし、おむつをしているのにトイレで用を足そうとする。
「おむつがずれるから歩かないでってば」
「だったらリハビリをもっと頑張ろうよ、せっかくリハビリ服もつくったのにさー」
4年前に彼女のリハビリにぴったり寄り添って歩いたわが家の長老犬が、先ごろ寿命をまっとうした。まもなく19歳だった。
今年の1月に亡くなったうちの父よりも数百倍は頼りになる、浮気もしなけりゃ愛人も隠し子もいない、彼女に一途な犬だった。
彼女が亡くなった際には犬でありながら“ペットロス”になり鬱病に患ったほどの純愛だった。その際に通院をしばらく続けた以外は病気知らず怪我しらず。
亡くなる前日まで、おぼつかない足取りではあるけれど自分の足で立って水を飲み、吸水パッドを巻いているのにトイレで用を足そうとする、それはそれは物覚えがよくて勇敢で利口な犬だった。
私の犬飼い人生は彼に始まった。
私を“飼い主”にしたのは間違いなく彼だ。
亡くなる10日前から次第に餌をとらなくなり、4日前からは――犬猫は大好きだといわれている――「ちゅ~る」さえもひと舐めする程度になった。
犬は旅立つ準備に入ると餌をとらなくなる。水もとらなくなれば、いよいよもって数日だと言われている。覚悟はしていたけど、覚悟なんて愛犬の死の前ではまったく意味がないことを今回もまた思い出した。
順調に老いて、彼は当たり前のように目が視えなくなっていた。耳も聞こえなくなっていた。あれだけ好きだった散歩を怖がるようになってしまったので、このところは散歩も連れていかないようにしていた。
さいごの3日間は彼を左腕に抱いて、かつての散歩コースをもっとも陽がやわらかく注ぐ時間を選んで歩いた。筋肉がとろけたようにくったりと、彼は私の顎と肩に頭部をあずける。
目に映るもの、すべてが楽しい! とキラキラ輝いていたかつての瞳はもう光をなくしていた。けれど私が話しかけると尻尾を振る。聞こえていないはずなのに。わずかに残された体力を消耗してしまう気がして「尻尾は振らなくていいから」と耳元で言う。そのたびに尻尾が揺れた。
お昼前やお昼過ぎに、全身から力の抜けたチワワを抱いて泣きながら歩く私は異様に見えたことだろう。
キャップはかぶっていたけど、日傘をさしていた日もあるけど、それでもまっ赤な鼻と水滴でくもった眼鏡と胸の当たりだけが色を濃くしたTシャツはさぞかし目立っていたようで、見知らぬおばあさんから「……やすんでいくか?」と声をかけられたりもした。
ロケや身内の不幸などでどうしても家を1泊空けなければならない時は、元同僚で自転車で5分のところに暮らすTさんに留守を預かってもらっていた。
朝からTさんが駆けつけてくれて、思い出話に花を小さく咲かせた。
彼女の腕の中でやっぱりまた、彼は尻尾を振った。何度も、何度も。
「聞こえてるのかな、耳遠くなってたよね?」
「そうなの、不思議なんだけど」
散歩道にある花屋さんの奥さんにも、お別れの抱っこをしてもらった。
彼を可愛がってくれた人には会えたと思う。いよいよ、彼も準備に入った。
全身を動かす大きな痙攣が数時間続いて、小刻みな痙攣が次にやってきた。それでも時々、水を欲するみたいでその時は立ち上がろうともがいていた。
水分をほしがるならまだあと数日……と期待しそうになる私と、はやく休ませてやりたい私が何十回もせめぎ合った。ここ数日、まともに眠れていなかったせいか、ふいに眠気がやってきた。
祖父母や父、先代犬たちの写真と三峯神社の御札をまつった神棚に手を合わせる。「約20年も一緒にいたのできちんと見送りたいけれど、どうにも眠気に勝てない。仮眠をしているあいだに連れていくような真似だけはどうかやめてほしい、この手で触れで見送りたい」と声に出して2度繰り返した。
「アーッ!」
聞いたことのない彼の声で目が覚めた。さいごの力を振り絞ったような声だった。2時間前よりも体温が奪われた前足を左手で包み、右手で彼の丸いおでこを撫でつづけた。
名前を呼ぶと、こんな時なのにまた尻尾を振る。
身体中が何度も大きく波打って、口を大きく開けて肩で呼吸をするようになった。もうゆっくりさせたい。もう眠らせてやりたい。
4枚に渡った手紙を大きな声で読み上げた。抱き上げることはせず、横たわる彼を抱きしめて「ありがとう、もうおやすみ。あとはまかせてね、大好きだよこれからもずうっと」と声をかけると陽が沈んでいくように震えが弱まっていき、彼は最期の息を吸ってそして吐いた。
わが家の犬はそれぞれに「番号」を持つ。
名前や身体の特徴を語呂合わせにしている。
たとえばそれは「名前がミミ=33」「名前がニコ=25」「あまりにもキューティー=821(ハニィー)「八の字眉毛=8」みたいに――。
彼の心臓が活動をやめたことを掌で感じとった時、念のためにと左手首に巻いておいたapple watchを確認した。
「10:06」
彼が自分の番号の時間に旅に出たところを見ると、どうやら「トム」という名前を気に入ってくれていたんだろう。やっぱりどうしたって可愛いやつ。
もしもたったひとつ願いが叶うなら、19年前に戻ってもう一度、トムを赤ちゃんの頃から飼いなおしたいけれどその夢はどうしたって叶わない。
たかがペットの死だと言う人もいる。けれど、赤ちゃんの時から育てているのだから、自分の子どもが先立つような、身が引き裂かれるほうがましだと思えるほどの痛み。何度味わっても一生慣れることはない痛み。
19年、ほとんど毎日一緒にいた。
終生飼養を誓って飼ったけれど、それをまっとうできたけれど、離婚後の新しい恋愛に興じることもなく、適当なloveaffairで家を留守にすることもなく常に彼(ら)の傍にいることを自然に選んだ19年間だった。
離婚をしたとき、4匹のチワワのシングルマザーになった。
血のつながりを持つ忘れ形見は1匹になってしまったけれど、約3年前に引き取った騒がしい保護犬の2匹が我が家にはいる。もうすこし喪に服していたいし泣き濡れて頭痛がおさまらないけど、数日中には立ち上がるつもりでいる。2匹を守るために頑張らなければ。
それにしても、今年はそうそうから家族が1人また1人といなくなる。死別にかぎったことではなく、弟夫婦にとって長年の夢であった本社勤務の栄転だったりもするのだけど――もうしばらくは現状維持がいい。さすがにちょっと心に堪える。