父との離婚が成立した日、母はすでに支払いも手続きも完了済みだという理想の高齢者サービス住宅にとっとと入居した。
「大塚家具でぜんぶ揃えようと思ってるの」
「高齢者サービス住宅って家具ないの?」
「そうなのよ、自分でぜんぶ揃えなきゃなの」
「ていうかニトリでよくない?」
「いや、絶対に大塚家具」
「高くない?」
「いいの! このくらいの贅沢をしたって罰はあたらないわ」
「でも……」
「いいの! ほうっておいて」
「でも、お母さんももう69歳だし明日ぽっくり逝くかもしれないのに無駄金使うのはもったいないじゃない」――とはさすがに言わなかった。
「でも、おばあちゃんと同じように90代半ばで亡くなっちゃうとすれば、あと30年近くは生きちゃうんだから節約した方がいいと思うよ」
「ほうっておいてちょうだい。離婚したんだから、好きなように生きるって決めたのよ。それにたくさん遺しててほしいからそう言ってるだけでしょ? あんたって“がめつい”わね」
「そんなつもりじゃ……」
母は確かに父との熟年離婚後に散財をしていた。けれど、私から手切れ金を2,000万円一括でもらったのだから、普通であればお金に困っているはずはなかった。
普通ならば。
大塚家具の高級ラインに囲まれた理想の部屋も、お嬢さん育ちの母の心のひだまでは満たしてくれなかったらしい。母は2年間で高齢者サービス住宅を3度引っ越している。
そのたびにまとまったお金が出ているはずだ。
母にとって、私達のかつての実家は今や最後の打ち出の小づち。血の繋がらない甥っ子3人にまとわりついて離れない母の姿が易々と想像できた。
熟年離婚から2年――。母も71歳になったはずで、物心ついた頃から常に親戚の誰かと揉めていた母は老婆となった今も未だ、当時からなにもかわらないまま悲しき老毒母になっていた。