うざゴリ#21|ひとり暮らしの親の孤独死×母を想う

うざゴリ

齢73にして母から三下り半を突きつけられ「ポイ」された父。
私たち姉弟の大好きだった父は今は昔。

「縦のモノを横にもしない大酒のみの頑固なウザいゴリラ」と化した父は、浴室からひとりでぽっくり旅立った。山積みの問題と未処理の面倒と、どうしようもない笑いを数多く遺して――。合掌、うざゴリ(没75)

うざゴリ~シシテ尚、迷惑をかける父へ贈る最期の小言 #21

3時間をかけてようやく、1階のトイレがどこに出しても恥ずかしくないほど美しくなった。長弟にはやく見せたいけれど、彼はまだ浴室から出てこない。

床を拭きながら両親を思った。

汚い部屋は心も荒ませると聞くけれど、ここで用を足すときに父はなにを思っていたのか。どうしてこんな風になってしまったのだろうとみじめな気持ちになっただろうか、75年の人生を振り返って悔いただろうか。

少なからず母は、およそ25年間の家庭内別居を大きく後悔していた。
熟年離婚をする3年前から、母は“ある写真”を撮りためていた。なにかの時にそれが優位にはたらいてくれるようにと期待して。

仕事から戻ると父は真っ先に風呂に入る人だった。
「そうすればあとが楽だから」と、昔から言っていた。

50歳からの父は、風呂から上がるとダイニングテーブルの決まった椅子に腰かけて赤霧島やいいちこを浴びるほど吞んでいたらしい。母から話しかけられないで済むように、日中に起こった煩わしい出来事や不愉快は酒の力を借りて忘れられるように。

70歳になる頃から父は椅子に座ったまま寝落ちをして、肌寒さや尿意に目を覚まし、間に合わず――といったことを繰り返していたようだった。そのたびに母は「自分も歩くし使うから仕方なく」汚れたカーペットやトイレを拭いていた。ほとんど毎晩。

「だから離婚をしたいのだ」と、ある日、母は言った。
こんな人生があとどのくらい続くのか、想像するだけで怖くてたまらない。こんな調子ならあの人はいつか“要介護”になるだろうから私はもうこの泥船から降りたいのと。

「もうあの人の面倒をみるだけの人生から逃げたいんよ」
「いいんじゃない?」
「あんたにも証拠写真を送っておくから保存してて」
「なんの写真?」
「見ればわかる、私がお父さんから逃げたくなる気持ちもきっとわかる」

500枚以上の証拠写真だった。
画像の日付を見ると、それがほぼ毎日起きていたことがわかった。

「毎日毎日これを掃除してたんよ、この辛さがあんたにわかる?」
「先代の愛犬の介護をしてたから……少しなら……」
「だったらわかるでしょ、わたしもうお父さんを捨てていいでしょ?」
「いいよ、逃げなよ。あとはなんとかするから」

蓄積された汚れが落ちないトイレ掃除をしながら私は、どちらかといえば父を思うより、当時の母のみじめさと虚しさに心を寄せた。あの人はきっと毎夜泣きながら拭き掃除を繰り返していたんだろう。かつては憎んでいた母を心から哀れに思えた。

台所の下の棚にいくつもあったクエン酸の粉末は、それ特有の臭いを拭き取るために使っていたのに違いない。母はそれでもこの家をなんとか維持しようとしていた。誰が見たって“終わりの家族”の限界がくるその日まで。

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