うざゴリ~シシテ尚、迷惑をかける父へ贈る最期の小言 #36
父の四十九日は日常と同じように過ぎた。
叔母や弟達家族が、わが家に集まることもなくメッセージを送り合うこともなく、一昨日や昨日と同じように平穏に終わった。
心の中で各々が弔ったのだと思う。私もそうであったように。あれだけ毎日飛び交っていたメッセージのやり取りも、今や昔といったふう。
煙がほとんどでないという“ZERO”の線香はだいぶと余った。蝋燭はあと2本ある。気まぐれにちりんとおりんを鳴らすと、愛犬が走ってきた。
彼には見えるのかもしれない。空へのぼっていく父の姿が。
犬が好きすぎて失うのが怖いからと飼うことができなかった父は、彼の見送りに目じりを下げているに違いない。
男の人達は言う。「好きなように生きたお父さんはかっこいいよ、羨ましい」と笑う。私は女性だからその気持ちは今のところ半分もわからない。
腹の立つことを挙げればきりがないけど、お父さんを嫌いになれない理由はそれを以てあまりある。どう考えても私はとても可愛がられていたし、疑いようもなく大切にされてきた。
だから、時々、写真に話しかけると思う。困った時や悩んだ時に、とくに。
だけど、半透明の姿は見せてくれなくていい。怖いから。
家族といえども幽霊は怖いから、私は怖がりだから、絶対に出てこないで。枕元にも足元にもなにがあっても立たないで。夢の中とか、科学では証明できないような珍現象で存在をアピールすることは良しとしましょう。
お父さん、おつかれさまでした。さよなら。また逢う日まで。
-つづく-