うざゴリ~シシテ尚、迷惑をかける父へ贈る最期の小言 #9
2年前に熟年離婚をして出て行った母に今回のことを知らせるべく、電話をかけたのは15:38。
“着信拒否をされていた”から、母の弁護士に旨を伝えて折り返しの連絡を求めたけれど……すでに2時間が経っていた。
わかりません。
すみません。
僕らではちょっと。
ようやく到着した弟達も私と同じようにばつが悪そうだ。「この家族はほんと……」と捜査一課は呆れているかもしれないけれど、私はすこし救われていた。
救急隊、制服姿の警察官。捜査一課に検視官。
「今ここに沢口靖子さんと内藤剛志さんがいないことが不思議でならない」と言ったら、すぐ下の弟が「科捜研の女」と声をひそめて笑っていた。
事件性は「ないようだ」とようやく認められたのは、119番通報をしてから6時間後だった。ご遺体と呼ばれるようになった父が青い寝袋のようなものに包まれて運び出されて行った。明日の朝、警察署で医師による検案がなされるらしい。※有料
190cm近い巨体を運び出すのは重労働だったと思える。「わあ!」とか「おお!」とか「気をつけろよー!」なんて声が聞こえてきていた。
リビングが一向に暖まらないのは人の出入りが多かったからではなく、エアコンが壊れていたからだと知った。
こんなことさえ私達姉弟は今日まで知らずにいた。物心がつく前から上げ膳据え膳でもてなされてきたお山の大将は、エアコンの故障さえ自分では修理依頼を出そうとしなかったようだ。
父をこんな風に育てた祖母。
どれだけ止めても、父に家事をやらせようとしなかった母。
そしてこんな父。
彼らを見て育った私達姉弟は、自分のことは自分でできる大人になった。弟達は料理はもちろん一連の家事も完ぺきにこなせる。私は無論そうであるし、これまでつき合ってきた男性も元の夫も、料理や家事はお手のものだ。
父はなるべくして、こういう最期をむかえたのだ。
意見や小言を言う家族を威嚇し怒鳴って遠ざけ、暴力も時にふるった。イエスマンだけを周りに置いた挙句のこの人生。さぞかし満足だろう。
末の弟夫婦が葬儀社と電話で話し込んでいる。
下の弟夫婦は、連絡者リストを作っている。
手持無沙汰の私は、和室に並んだ4冊の通帳がそれぞれ一昨日まで記帳されているのを眺めながら「エアコンの修理を先にしろよ」とひとりごちた――あれ?
「あれ? 変だよ、なにこれ?」
4冊の通帳の最後の一行の残高を合計する。どう計算しても何度計算を繰り返しても、お金持ちだったはずの父の財産は……残高は……。
「ねぇ、ちょっと。お父さん、通帳に6万しかないんだけど? 夢?」